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本多静六の「一万円」 [勤倹貯蓄]

 林学者にして富豪だった本多静六は貧乏征伐には「千円」の貯蓄を勧めた。現在の貨幣価値にすると400万円である(当時の1円は概ね4,000円)。著書を読むと、第2段階として「五千円」=2,000万円、第3段階として「一万円」=4,000万円と記されている。

 加谷珪一によると、金持ちの最低水準は3億円の金融資産だという。少なくとも3%で運用できるので年1,000万円の所得が得られるという。3億円の持ち主は本業で生活費を稼いでいるはずなのだから、この運用益が加わると、相当に生活に余裕ができるだろのただし1億円の金融資産でも300万円の運用益が得られるから金持ちと言えるらしい。そしてこの金持ちの仲間入りを目指そうと、貯蓄を進め、金持ち意欲を持ち始めるのは4,000、5,000万円らしい。もちろん住宅ローンなどが一切ないという前提である。

 本多静六は次のように記している。「金というものは雪達磨のようなもので、初めはホンの小さな玉でも、その中心になる玉ができると、あとは面白いように大きくなってくる。少なくとも、四分の一天引き貯金で始めた私の場合はそうであった。これはおそらくだれがやっても同じことであろう。だから、私は確信をもって人にもすすめてきた。どんなに辛い思いをしても、まず千円をお貯めなさい。‐今日ならさしずめ十万円というところか‐千円貯まれば、たちまち五千円貯まり、五千円貯まれば間もなく一万円にはいとやすいことである。ここまでくれば金が金を生み、金がある処にはまたいろいろいい智慧も出てきて、いよいよ面白い投資口も考えられてくる。こうなるともう。すべては独りでに動き出し、やたらに金が殖えてきて、殖えてきて、われながら驚くものである」(「私の財産告白」)

 本多静六が貧乏征伐をしようと考えたのは結婚して東大教員になった途端、寄食者が集まり、家族9人となったのが動機だった。また学者としての良心を守るためでもあった。年収は「800円」(現在の320万円)である。手取り収入の1/4に当たる「14円50銭」(現在の5万8,000円)を毎月、貯蓄した。そして本業で精勤するとともにアルバイトとして原稿を書いたり、私大で教えたりした。留学してまで勉強した「学問の切り売り」をした。その上、教え子に自分と同じように貧しい学生時代を過ごさせないため、奨学金制度を作った。その他にも私費で学生を援助した。精勤と慈悲の人であったのだろう。

 本多静六の恩師ブレンタノ博士は「お前もよく勉強するが、今後、いままでのような貧乏生活をつづけていては仕方がない。いかに学者でもまず優に独立生活ができるだけの財産をこしらえなければ駄目だ。そうしなければ常に金のために自由を制せられ、心にもない屈従を強いられることになる。学者の権威も何もあったものではない。帰朝したらその辺のことからぜひしっかり努力してかかることだよ」と戒めたという。同博士も努力して資産家となった人であった。ここで言う「独立生活」とは本業以外で生活できる所得である。

 本多静六の著書を読むと、戦前も今も人間関係、経済関係、社会関係があまり変わらないことが分かる。富豪の入り口が概ね4,000万円の貯蓄というのも変わらないのであろう。
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