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職場の政治化 [仕事・職場を考える]

 毎年4%の売上高が消失する会社にいるのだから、職場が政治化するのは仕方がないのかもしれない。売上高はもはや漸減とは言えないし、今後増える見込みもないのである。

 職場ではあっちに付いたり、こっちに付いたりする人間模様が見苦しい。社長をはじめ仕事中に嘘を言われることもあるので要注意だ。情報のルートはだいたい分かっているから、私は口の軽い奴に裏で尋ねられたら、故意の虚偽の情報を流して社長を欺いたこともある。嘘つきは騙されやすいようである。

 情報源は伏せるが、どうやら来年度までに定年延長者や嘱託者が合わせてずばっと3人切られ、社長も専務も引退するようである。本当は支社を廃止する必要もあるのだろう。

 人間をどんどん減らさなければもうやっていけないのである。ただし私には弁護士が付いたから、プロテクションが効いている。私以外の人間が犠牲になるということになる。週末は音楽を聞いている。最近はモーツアルトのSerenade #10 In B Flat, K 361が気に入ってしまった。

気付いたこと [仕事・職場を考える]

 法律事務所で打ち合わせると、4つのことに気付いた。

(1) 弁護士にはどうやら勉強する者と勉強しない者がいる。労働関係に限らず、判例・法令は生き物なので、勉強しないと時代遅れで頭が古いままになっている。ドラッガーの分類であれば弁護士は知価労働者であろう。若いから勉強するというわけでも、年を取っているから勉強しないというわけでもない。弁護士の仕事は文章書きばかりでないから、交渉の分野では得意、不得意があるらしい。性格もあるのだろう。勉強しない弁護士にこちらから買った資料を提供したり、教えたりするのは何だか面倒臭いが、やらなければならないことなのだろう。私は教えるのは得意である。

(2) 弁護士向けの実務図書が数多く市販され、そこには「弁護士が知らないこと」も記されている。地方の弁護士の数は限られ、マーケットが大きいわけでもない。しかし需要があるのだろう。

(3) 法律には不備がある。例えば私の場合、弁護士に委任したのに会社がおかしいことのように言ってくるのは防ぎようがない。何人も民事で弁護士を委任するかどうかというのは全く自由である。ところが会社が無知と横暴さを丸出しにしてきたとき、やはり「法律に記してある」と示すことが重要だ。憲法で国民が民事上、「弁護士を選任する権利」が記されず、こうした言動を禁止する法律がないからである。

(4)  ベテランは親身でかつ、相談者にとって嫌なことも指摘してくれる。私の場合、「気持ちをしっかりせよ」と言われた。もちろん精神力ばかりではなく、精神力に傾くのは危険でもある。しかし会社員であれば仕事の最後の決め手は精神力、そしてその土台にある体力であることを知っている。私は知力に傾きがちだ。「問題は足で解決する」という基本を思い出した。

政争 [仕事・職場を考える]

 社内に公言してから私へ退職勧奨をしたので、弁護士介入の反撃を受けて衝撃を受けているという。恥をかいているらしい。そして私に「訴えられるのではないか」と脅えているらしい。確かに私は確かに一連の言動を退職強要と考えて、訴訟を起こすことは可能であろう。

 そもそもの原因は彼が退職勧奨をしたことにあるので、その後の出来事について私に帰責することはできない。たとえ不安になったとしては私の知ったことではない。総務部長は体調が悪化して、通院している。労務問題を引き起こしているのだから仕方がないことであろう。

 私は一切情報を与えないから、接近しても無理であろう。まあ彼も当然、退職勧奨を計画した一味なのだろうから、嘘の情報でも与えることにしようか。

 

 

英検受検 [英検1級/ケンブリッジ英検]

 英検受検(1級)は2013年度に1回、2014年度に2回、2015年度に1回、受検しているから、今回で5回目である。7月に退職強要に遭うという高ストレスを受け、それを跳ね除ける多忙で、ほとんど受検対策はしていなかった。仕方がないこととも言える。交渉は小康状態になっているのだから、根性を入れて頑張る必要があるだろう。

 仕事で求められる英語力は英検1級を超える一方、資格は雇用市場で評価される。実務経験が乏しい英検1級取得者より、実務で長年、鍛えられた人間の方が仕事も英語もはるかにできるだろう。しかし英検1級があれば少なくとも、仕事が与えられたり、仕事を広げたりするきっかけになる。いざとなれば独立して英語塾だって開けるだろう。

 平日は仕事で疲れていると、シャワーを浴びて自炊して飯を食ったら、もう眠り込みたくなる。早起きは得意だから、朝の1時間を勉強に当てる必要がある。

報道「非」関係者 [仕事・職場を考える]

私は会社からパワハラー仕事を完全に外れてているわけではないが抑制されている-を受けているので、月刊誌が対象とする業界での大イベントへの取材が許可されなかった。許可されないし、他の仕事もないので、有休を取得して勝手に行ってしまった。有休をどう使おうと自由である。

 個人の資格だから会場では報道証はない。だから駐車場も一般参加者と同じで、車は会場からかなり歩く所に停める必要があった。しかし報道関係者は会場近くに停められる。イベントを参観するにも席は別で混雑する一般参加者の席である。報道関係は優遇されている。

 大げさだが、いかに報道が優遇されているかを身を持って知ってしまった。報道というのはいわば特権で、特権を行使していると、知らず知らずに人間は傲慢になる。同僚が傲慢だと批判するのはたやすいが、自分自身も傲慢になっているのではないかと反省した。

 特権をはく奪されて初めて知ることというものがある。私は特権をはく奪された。考えてみると、これはとても幸運なことだ。傲慢になるということは、人間として弱くなるということだ。職業はどうであれ、人間として強く生きることはとても大切なことである。そして報道人がちんぴらのように見えるのは、特権階級だからである。

 ただし一般参加者と同じというのは自由なもので、(取材ではなく)ただ人として知り合いになろうとすれば見えるものもある。詳しくは記さないが、私自身、とても自由で、多くの人たちと知り合いになることができた。とても有意義であった。