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パワハラと国家社会主義 [職場を考える]

 使用者がサラリーマン、とりわけ新入社員にパワハラを働くのは教育訓練ではなく、人格支配のためである。程度の違いこそあれ、使用者は労働させるのではなく、パワハラによって自由意思をくじき、辱めを与え、人格を支配しようとする。使用者が恐れるのは怠惰ではなく、サラリーマンの自由意思である。思考そのものを変えようとする。

 そこには労働契約といった近代性はない。IT、IoTが整った現代型のオフィスにいながら、暴力や中傷、粗野な言動、アルコールなどを反復して与えるパワハラが横行して、さながら地獄のようになっている。見かけだけの現代性で、中身は政治犯収容所のようになっている。

 経営者はサラリーマン出身で、産業資本家ではない。起業したり、努力を積み重ねて、組織の上に立ったというよりも、サラリーマン同士の酒席での密かなシンジゲートを辿って、役員になるということのほうが多い。

 経営と所有(株主)の分離、産業資本家の排除、業界団体の設立は太平洋戦争前、年功序列、厚生年金制度などは総力戦体制として築き上げられたものである。国家は生産力拡大のため、業界団体を通じて、産業を支配する。業界の構成要素にすぎない個々の企業では、経営者や管理職が部下に命令するには、人格的に動かすことはできない。

 部下にとって上司は「能力が低くて、努力もしてこなかった高齢者」に過ぎず、何ら上司の資格のある人間ではないからである。だから上司は部下へ徹底したパワハラを加える必要があり、脅し上げたり、見せしめが必要であったりする。虐め、基本的人権への侵害が必要なマネジメントなのである。

 ただしこうしたサラリーマンが産業事故に遭ったり、障害を負ったり、病気などで死亡したすれば本人や遺族に年金を支給する。厚生年金は考え方として、国家社会主義下の戦死者への戦時福祉である。一方、パワハラによる精神的被害や過労死、過労自殺については同様に年金を支給するものの、使用者の責任をほとんど認めようとしない。

 なぜなら基本にパワハラが不可欠なマネジメントがあるので、マネジメントそのものを否定することはないからである。裁判所は国家体制の一部だから、国家社会主義そのものを裁くことを当然に拒む。裁判所はパワハラに対して、使用者の無答責を認める。国家無答責であり、国家の一要素である使用者にも当然、無答責を認める。

 資源がなく、人材のみがある国で、西欧諸国に囲まれ、孤立した島国で総力戦を戦うためのシステムと言えよう。そこにあるのは基本的人権という概念を制限し、契約の概念を歪めたものである。こうした人間には社会性や国際性が失われる。こうした思想は元々、旧満州にあった南満州鉄道などで、元左翼などからなるインテリ層によって編み出されたらしい。社会主義の要素が活用されているのはそのためである。

 国家社会主義というのは精巧な思想で、国家、帝国すらも乗っとることができる。ドイツ帝国を乗っ取り、旧帝国の軍隊や警察を動かしたのである。日本でも国家社会主義者たちが産業や企業を乗っ取ったのである。乗っ取られたままとも言えるだろう。 

 日本でパワハラ、学校でのいじめが根絶できないのは国家社会主義が原因と言えるだろう。根っこにある国家社会主義そのものを拒むのは当然として、西欧の民主主義をそのまま導入するのではなく、国情や民族主義に沿ったものを考える必要があるだろう。資源がなく、人材さえ少なくなっていく日本にあって、基本的人権を擁護し、虐待や差別を少なくし、前向きな社会を築くことができるかが、今後の日本の鍵になるだろう。
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